読書メモ。適宜更新の予定。
2018年2月14日追記:部分的に取り上げる形で書く。
2018年5月16日追記:タイトル変更
新曜社での本書紹介ページはこちら。
- 巻頭インタビュー インタビュイー 鈴木謙介(p.15-p.26)
- 第1章 ポケモン・コンテンツの系譜―その終着点としてのポケモンGO 小池隆太(p.28-p.41)
- 第2章 ポケモンGOの観光コミュニケーション論―コンテンツ・ツーリズムの視点からの観光観の刷新 岡本健(p.42-p.54)
- 第3章 ポケモンGOのリアリティ―『Ingress』との比較から 河田学(p.55-p.65)
- 第4章 穢れなきポケモンと現実の都市―ARによって浮き彫りになる、現実世界への糾弾 藤田祥平(p.66-p.77)
- 第5章 いかにして私たちはポケモンGOと接触(コンタクト)するのか―二つの指標性から出発して 谷島貫太(p.78-p.89)
- 第6章 ポケモンGOでゲーム化する世界―画面の内外をめぐる軋轢を起点として 松本健太郎(p.90-p.102)
- 第7章 新たなるモバイル・ハイブリッド―ポケモンGOが生み出した虚構と現実の集合体 神田孝治(p.104-p.115)
- 第8章 現実はいかにして拡張されたのか―写真・GPS・ナビゲーション 増田展大(p.116-p.127)
- 第9章 デジタル地図を遊ぶレイヤー―グーグルマップからポケモンGOへ 松岡慧祐(p.128-p.138)
- 第10章 ポケモンGOと監視社会―人間の終わりの始まり? 森正人(p.139-p.150)
- 第11章 ゲーム攻略サービスからプレイヤーの<状況>を再考する―攻略本・攻略サイト・サービスツールがもたらすもの 山崎裕行 (p.151-p.161)
- 第12章 資源化される宗教感覚、資源化を飼いならす宗教感覚―ポケモンGOをめぐるイスラーム的批判からの考察 安田慎 (p.162-p.172)
巻頭インタビュー インタビュイー 鈴木謙介(p.15-p.26)
p.19-p.21
巻頭インタビューで鈴木謙介さんが、日本におけるポケモンGOへのネガティブなイメージがついた理由に、1「気味の悪さ」と2「プレイヤーの指標のなさ」と3「日本特有の地理的環境」が挙げられていた。
1.情報がものすごいスピードで広がるゾーンとテレビ経由でしか何が起こっているかわからない人が一緒に合わさることで、「気持ち悪い人がウロウロしている」ように見えてしまい、何をしているかわかった上での【反感】ではなく、何をしているかわからない【恐怖の対象】となってしまったこと。
2.実際の空間には何もないけれど、スマホの画面によって初めてポケストップやポケモンが可視化されて意味を持つようになることが、リアルの空間と情報空間のイメージの齟齬や断絶を深くした理由ではないか、と。
3.日本には面積の大きいフィールドが都会にほとんどない。よって、プレイヤーとそれ以外の人と「意味の衝突」が起きやすくなって、スマホを開いて長時間留まるだけで下手すると不審者扱いされる。
第1章 ポケモン・コンテンツの系譜―その終着点としてのポケモンGO 小池隆太(p.28-p.41)
p.29-p.35
メディアミックスとしてのポケモンについて触れている。
メディアミックスと言えば、「妖怪ウォッチ」や「ダンボール戦機シリーズ」のレベルファイブ社が頭に浮かぶが、言われてみればポケモンは立派なメディアミックスだな。正直気づいていなかった。
p.37
アニメにおけるポケモンは、野生動物と変わらない振る舞いや人間との意思疎通を図っていることから、背景に固有の人格や生活を伴った存在としてのキャラクターとして考えられる。しかし、ビデオゲームにおけるポケモンはゲームストーリー上の何らかの理由がある場合を除いてプレイヤーやゲーム内の登場人物と意思疎通を行わない。「集める」「育てる」「交換する」「対戦する」ことに忠実に役割を果たすある種の「道具」である、と書かれている。
第2章 ポケモンGOの観光コミュニケーション論―コンテンツ・ツーリズムの視点からの観光観の刷新 岡本健(p.42-p.54)
p.48-p.52
観光振興と地域振興への応用可能性について、「天橋立三所詣GOワールドマップ」(京都)、「ピカチュウだけじゃない ピカチュウ大量発生チュウ!」「PokémonGO PARK」(共に横浜、2017年8月9日から8月15日)を紹介しながら、「PokémonGO サードサタデー」を中心に取り上げている。
第3章 ポケモンGOのリアリティ―『Ingress』との比較から 河田学(p.55-p.65)
p.57-p.58
ポータルの位置や状況はスマートフォンに映し出されるが、『Ingress』の設定上、スマートフォンを改造して作られた「スキャナー」という装置だとされると書かれている。さらに、ゲームの初回プレイ時に表示される「あなたはゲームをダウンロードしたと思っているでしょう、でもそれは違います」というメッセージがあるように、スマートフォンで操作しているプレイヤーではなく、スキャナーを使って現実にポータルの攻防を繰り広げるエージェントであるというのが『Ingress』のフィクションであるとしている。
p.59
『Ingress』におけるプレイヤー(エージェント)の位置表示とポケモンGOにおけるプレイヤー(トレーナー)の位置表示の違いについて触れている。
"ポケモンGOにおけるゲーム画面は、画面中央にキャラクターが表示された古典的なゲームな画面であり、ポケモン・シリーズでも伝統的に受け継がれてきたユーザー・インターフェースだといえる。"
確かに言われてみれば、自分が操作するキャラクター/ポケモンGOにおけるアバターが中央に表示されているのはこれまでのシリーズと同じだ。気づかされた。
"『Ingress』においては、プレイヤー・キャラクターが表示されていないという事実が、プレイヤー自身がエージェントである(すなわちプレイヤー・キャラクターなどそもそも存在しない)というこのゲームのフィクションを強化している。"
自身がプレイヤーであるという意識はポケモンGOよりかは大きいかな。
p.62-p.63
チェスを例に、『Ingress』が抽象的なストラテジーゲームとしての側面を備えているという考察が書かれている。チェスでは「王を筆頭とする軍隊を率いて敵と交戦する」というフィクションが可能なはずであるが、実際にはフィクションの部分は意識化されず、勝利するためのストラテジーの側面が前景化されているとしている。そして、フィクションとストラテジーはトレードオフの関係にあるとしている。
p.63
『Ingress』はポータル同士をリンクする(繋ぐ)ことによってコントロールフィールド(三角形の陣地)を形成して勝敗を争うが、『Ingress』ではプレイヤーの行動のリアリティがフィクションに取り込まれていて、ストラテジーの前景化がプレイヤー=エージェントというフィクションの強化をしている、とある。
また、ポケモンGOにおけるスマートフォンのカメラを使ったAR機能から、ポケモンGOは現実定位のゲームであるとし、『Ingress』はフィクション定位のゲームである、としている。
第4章 穢れなきポケモンと現実の都市―ARによって浮き彫りになる、現実世界への糾弾 藤田祥平(p.66-p.77)
p.69
"ポケモンGOを大阪市内でプレイしてみると、画面内ではランドマークや坂道など、重要な地理的要素としての高低差が捨象されたり、道路が強調されたりするなどのデフォルメが施され、また、ジムやポケストップなどの仮想施設も密に設置されている。しかしそのシステムの内部では、デジタル地図に表象されるエリアに固有の歴史や文化が描かれていない。あるいは出現するポケモンが、土地のなりたちと結びついている、ということもない。"
エリアとしての表現において、歴史性がないということであって、個々のポケストップに関する歴史性のことではないということなのか。
第5章 いかにして私たちはポケモンGOと接触(コンタクト)するのか―二つの指標性から出発して 谷島貫太(p.78-p.89)
p.79
ポケモンGOにおける「中核体験」を【プレイヤーの移動に合わせてアバターが移動する→ポケモンが出現する→ポケモンに触れると捕獲画面に移る→ボールを上手く投げて運が良ければポケモンを捕獲できる】としている。
吉田寛さんの論文を引用しながら、記号論におけるチャールズ・ウィリアム・モリスの定義である、「意味論的次元」「統語論的次元」「語用論的次元」のうち、「意味論的次元」「統語論的次元」に言及している。「意味論的次元」を「ゲーム世界内の記号とゲーム世界外の事物との対応関係」、「統語論的次元」を「ゲーム世界内の記号同士の関係」としている。
p.86
ポケモンGOにおけるポケモンの<キャラ>が果たす二重の機能について:図鑑をコンプリートするというゲーム内のゴールを達成するための機能が統語論的機能、ポケモンの世界観を提供する機能が意味論的機能としている。そして、ポケモンGOにおける、プレイヤーがポケモンを見て、ポケモンがプレイヤーを見るという動きと、ボールを介して行われるプレイヤーとポケモンの相互作用(プレイヤーがボールを投げ、ポケモンが捕まったり避けたりする動き)をコミュニケーションであると言い、これがポケモンGOにおけるポケモンという<キャラ>の語用論的機能であるとしている。
第6章 ポケモンGOでゲーム化する世界―画面の内外をめぐる軋轢を起点として 松本健太郎(p.90-p.102)
p.91
ポケモンGOが都市空間の意味解釈に多層化と分断をもたらしたとし、ジムになっているサンリオピューロランドの入口を例に、テーマパークの顔として認識する人もいれば、ポケモンGOの「ジム」として認識する人もいる、と。
p.97
ポケモンGOのデジタル地図は「他者」や「事物」は予め排除されているとしている。プレイヤーを誘導するのは実社会には存在しないポケモンやポケストップ、ジムといった記号群で、それらの距離の関係性を見つつ、移動する。そこで重要なのは意味論的関係(画面の内側と外側の関係)ではなく、統語論的関係(画面内に表示されるの記号の関係)である、としている。ポケモンGOは「統語論的関係の優位」を持っていて、それによりプレイヤーが画面に表示されない人達や画面の外側の社会との衝突を招くことになった、とある。
ここでも、第5章の意味論的次元と統語論的次元が用いられている。
第7章 新たなるモバイル・ハイブリッド―ポケモンGOが生み出した虚構と現実の集合体 神田孝治(p.104-p.115)
p.104
ポケモンGOは虚構でも現実でも移動し、その両法が混ざり合うハイブリッドによって成立していると意義づけている。こうした虚構と現実が混ざり合い、想像的にも現実的にも移動する行為は、アニメ作品の舞台となった場所を訪れる聖地巡礼などがあると述べている。―確かに、現実を移動する自分の身体とポケモンGOのフィールドを移動するアバター(自分の分身)の2つが連動しているので、虚構と現実のハイブリッドと言えそうである。
p.107
筆者はマイク・フェザーストンの書籍を引用しながら、ポケモンGOによる移動を「自動車―運転者―ソフトウェア」の観点から「ポケモンGO―スマートフォン―プレイヤー」という関係がある述べている。
p.108
"control" prints: http://www.pictorem.com/62522/control.html Thank you!
Pawel Kuczynskiさんの投稿 2016年7月27日(水)
このパウル・クチンスキーさんによる「Control」という風刺画の作品。ポケモンの出現・ポケストップやジム・各種イベントの開催・画面上の位置情報などからプレイヤーの移動はポケモンGOに支配されていると言えるだろうと述べられている。本章を読んで初めて見たがとても衝撃的だった。
「ポケストップ」や「ジム」、出現するポケモンに近づいて各種アクションを起こすために止まるといった「ポケモンGO―スマートフォン―プレイヤー」の移動は虚構優位のハイブリッドであり、現実の移動に大きな影響を与えている。
よって、現実世界が虚構によって拡張されている「拡張現実」と捉えるよりも、虚構世界が現実にまで拡張している「拡張虚構」として理解する方が適切かもしれないものとなっていると述べられている。―拡張虚構という考え方は今までにないものだと感じた。ポケモンの出現やジムバトル、各種イベント等の「虚構」に影響されて自分自身の移動に至っていると言えなくもない。
p.111-p.113
「ポケモンGOプレイヤー―場所」という関係性について。ポケモンGOのプレイヤーは虚構の世界の出来事に応じて身体の移動と停止を繰り返すという独特な動きをする。また、主たる意識がスマートフォンに映し出されたポケモンGOの世界に向けられていて、現実の場所に付与された社会的な意味や他者への意識、周辺環境からの働きかけに対する理解が希薄化する傾向がある、と述べている。
そうしたことから、時には現実世界との不調和が生まれ、不自然な行為や不適切な場所への侵入するなど異質な他者となってしまう。そして、ポケモンGOのプレイヤーは時として招かねざる客になってしまうと述べている。
第8章 現実はいかにして拡張されたのか―写真・GPS・ナビゲーション 増田展大(p.116-p.127)
p.116
「拡張現実」とは何を意味するのか、拡張された「現実」とは具体的にどんなもので、どのようにして「拡張」されたのか、という疑問点。
p.117
ポケモンGOにおける撮影と捕獲の重ね合わせ(=ARモード)をフランスの生理学者エティエンヌ・ジュール・マレーが発表した『写真銃』という写真史上における実験と結びつける考察が展開されている。
p.118
パシ・ヴァリアホの文を引用しながら、『写真銃』について、銃という形式に注目して、過去の痕跡ではなく生や運動そのものをその場で捕獲すること主眼とする説明がされている。
p.119
『写真銃』が単に現象を記録するだけに留まらず、人間の知覚を越える現象を捕獲する技術とすれば、現在の「拡張現実」やそれを実装した端末と並べることも的外れではないだろうとしている。
p.120-p.122
ヘッドアップディスプレイ(HUD)技術を応用した透視型のVRゴーグルを従業員に着用させるボーイング社の航空機製造ラインに関して書かれたというボーイング社の技術者の論文やGPS技術、Googleストリートビューに言及して、データベース化した地図と写真の関係について、「ナビゲーション」の観点であったり、スクリーンを中心としたインターフェースの技術的な仕様、「いま・ここ」に対応する情報の検索を中心化する「エゴセントリック・マップ」を挙げて、その組み合わせが現実を拡張すると考察している。
p.124
デジタル技術によって地図が紙という媒体を離れ、Googleマップが手許に無限に広がるような感覚を与えることに言及して、地図は写真と重なり合う以前から、バーチャルな形式であったと考えるべきで、そのことがデジタル技術によって露呈したと述べ、Googleマップの航空写真やポケモンGOのARモードをオフにする時に、写真のパラダイムから離れて、データベースの中にナビゲートされているとしている。
<参考>『写真銃』
出典:CNUM - 4KY28.18 : p.328 - im.332, http://cnum.cnam.fr/CGI/fpage.cgi?4KY28.18/332/0/432/0/0, 参照日:2018年6月10日。
La Nature. Revue des sciences et de leurs applications aux arts et à l'industrie. Journal hebdomadaire illustré. Suivi de : Bulletin météorologique de La Nature, Boîte aux lettres, Nouvelles scientifiques, Gaston Tissandier, Dixième année, premier semestre : n. 444 à 469, p.328, 1882.
第9章 デジタル地図を遊ぶレイヤー―グーグルマップからポケモンGOへ 松岡慧祐(p.128-p.138)
p.129
Niantic社がGoogleの社内ベンチャーとして設立された後に独立した事や設立者のジョン・ハンケさんがGoogleの地図部門の責任者を務めた事に触れて、ポケモンGOはGoogleマップを素地としてその技術を応用する事で成立したゲームであり、ポケモンGOがGoogleマップに入り込む事でデジタル地図を「遊ぶ」事を可能にするものとしても位置づけられると述べている。
p.130-p.132
人間は1つのメディアである地図を介して、「世界」や「社会」といった抽象的な存在の全体像を描いて共有しようとしてきた事に触れている。Googleマップで拡大と縮小が自由にできる事や地図をスクロールできる事であらゆる視点から世界を見渡せる事が、従来の世界地図を超える地理的な想像力の可能性が開かれている側面があるとしている。
その一方で、検索エンジンの技術をGoogleマップに応用した事で、地名・住所・キーワード入力で地図を「検索」する事を可能にし、自分が見たいピンポイントの地図情報に効率良くアクセスできるようになった反面、地図に対する視野を狭める可能性を持つようになったと言える、という。
それに拍車をかけたのが、スマートフォンのGoogleマップアプリの登場でGPSとそれを用いたナビゲーション機能が追加されて、地図は常に〈いま・ここ〉をマッピングしてユーザーの移動する身体を導く役割を果たすようになり、個人の移動に特化して地図であり、個人に最適化した地図でもあると述べている。
ズームアウトやスクロールによってシームレスに(継ぎ目なく)全体を見渡す事は可能であるとしながら、検索機能やGPSの利便性が地図を見渡そうとする欲望を奪って断片的な情報の検索に人々を埋没させてしまう懸念を述べている。さらに、地図の見晴らしを物理的に妨げるスマートフォンの狭いディスプレイというデバイス上の制約によっても、自ずと視野が狭められてしまうと述べている。
そうした考えから、Googleマップはユーザーに世界中の地図をシームレスに操作する自由を与えながらも自己中心的で断片的な見方を促すアーキテクチャとして設計されていると言える、としながら、Googleマップのアーキテクチャは人々を自己中心的で断片的な〈いま・ここ〉に閉じ込めるだけなのだろうか、と疑問も提示している。
Googleマップは移動のためのナビゲーションとしての利用を促すように設計されているが、それは人を動かす「力」になりうるということ、つまり、ナビゲーションとして優れた機能を持つGoogleマップは身体移動を促すアーキテクチャでもあるということが述べられている。
p.133-p.134
人は結局のところ、自分の行きたい場所にしか行かないもので、Googleマップ自体が必ず身体移動のモチベーションになるとは限らない、という。
自分の行きたい場所にしか行かないという限界を超える可能性を示してくれるのが、ポケモンGOのようにデジタル地図とGPSを利用したゲームである。プレイするために様々な場所へ身体を移動させながら「地図と戯れる」経験はGoogleマップでは抜け落ちやすいものである。より多くのポケストップやポケモンを求めて、今まで行くはずの無かった場所に移動するように仕向けられる。いわゆる「聖地」のような場所は、多くの人にとってはそれがなければ訪れることは無かった場所に生まれるものだ。プレイヤーはそうした場所への移動を通じて自分にとって新しい地図へと開かれていく可能性がある、と述べられている。
―Googleで地図製品の責任者を務めたこともあるハンケさんは「地図と戯れる」という経験の可能性に気づいていたのかな?
しかし、ポケモンGOの地図には地名や建物名などの地理的情報は一切記載されておらず、地図としてはあまりにも「のっぺらぼう」であるとしている。
―ここでいう地理的情報はポケストップの情報は含まれていないようだ。
ポケモンGOでは地図のスクロール操作を自ら行えない点がGoogleマップとは異なる。身体を動かさなければ地図も動かない仕組みで、常に自分中心の地図しか見ることができないという意味でGoogleマップよりも自己中心的で断片的な地図と言える。そして、通常の地図にはないゲーム性がによって身体移動が促される一方で、地図から「意味」が剥ぎ取られて世界を解読するテクストとしての可能性が閉ざされてしまっている。ただし、地方自治体から提供されるNiantic社公認のポケモンGOの周遊マップはポケモンGOの地図にはない地域性を補完している、と述べられている。
―これはIngressに置き換えても似たようなことが言えるだろう。Ingressも先述されているものと同じように、スマートフォン上ではスクロール操作を行えず、常に自分中心の地図で身体を動かさなければ地図も動かない仕組みだ。しかし、IntelMapはナビゲーションの機能こそ無いけれど、Googleマップと同じように自由にスクロール操作ができて、地名・住所・キーワード入力で「検索」してピンポイントの地図情報に効率良くアクセスできる点から、Ingressのスマートフォン上には無い地域性を補完していると言える。
<参考>IngressのスクリーンショットとIntelMap
1.Ingressのスマートフォンでのスクリーンショット。
2.スマートフォンからアクセスしたIntelMapのスクリーンショット。左上のスペースから住所や地名を入力してピンポイントの場所を検索できる。例として東京都庁を検索した。
3.PCからアクセスしたIntelMapのスクリーンショット。右上のスペースから住所や地名を入力してピンポイントの場所を検索できる。例として東京スカイツリーの住所を入力して検索した。
4.PCからアクセスしたIntelMapを最大限ズームアウトした図。今いる位置だけではなく、地図をスクロールして海外も見ることができる。
5.スマートフォンからアクセスしたIntelMapを最大限ズームアウトした図。スクロールして海外も見ることができる。
第10章 ポケモンGOと監視社会―人間の終わりの始まり? 森正人(p.139-p.150)
p.140-p.142
監視に関する3つの論点を取り上げている。イギリスの作家ジョージ・オーウェルの『1984』に登場する独裁者ビッグ・ブラザー(監視する側/される側の不均等)、フランスの思想家ミシェル・フーコーの『監獄の誕生―監視と処罰』でのパノプティコン(自己の規律化・画一化)、カナダの社会学者デイヴィッド・ライアンの『監視社会』(資本主義と監視の関係性)。
p.144
GoogleアカウントでポケモンGOにログインする事に対して、公開当初にあったセキュリティ面での不具合を例に、個人情報のセキュリティに言及している。
また、アプリを経由して位置情報サービスを使用するゲーム上のアクションを行った場合にその人物の位置情報を収集して保存する事やポケストップの訪問に係る日時や経路データのデータベースへの蓄積に加えて、ARモードで撮影した写真がクラウド側に送信される可能性と端末内の個人の画像データが蓄積されて開発元(Niantic)やGoogleに把握される可能性に触れている。
―NianticはAR技術のプラットフォーム企業であって、位置情報を活用するデータ企業ではない。
p.145
ポケモンGOとのパートナーシップ企業の店舗を含むポケストップやジムの設定から、消費行為を操作するものとして位置づけ得るものとされている。
p.146
ポケモンGOでの個々人のプレイ状況を検分すれば、特定の人物が何を求め、エリアにはどんな人物が集まっているのかという情報から行動の予測ができるものと述べられている。
Keyhole社の創業時にIn-Q-Tel社から資金提供を受けている事と、In-Q-Tel社の出自にNGA(アメリカ国家地球空間情報局)の関わりが述べられている。
―Keyhole社を引き合いに出すのは少々考えすぎという印象がある。
p.147-p.148
ポケモンGOが個人を把握し、誘導し、計算するという論点から、ビッグデータに言及している。
第11章 ゲーム攻略サービスからプレイヤーの<状況>を再考する―攻略本・攻略サイト・サービスツールがもたらすもの 山崎裕行 (p.151-p.161)
p.151-p.153
ビデオゲーム史における攻略サービスの整理として、ファミリーコンピュータの発売によってプレイヤー兼プログラマーから「プレイヤーだけ」の世界がもたらされた事に言及している。
ポケモンGOの場合では、非公式の攻略サイトが検索結果で公式サイトより上に位置する様子を述べながら、この章で目を向けるものに『P-GO SEARCH』(利用規約違反ツール)を挙げている。
p.153-p.156
ゲームフリーク社創業者の田尻智さんが刊行した『ゲームフリーク』をはじめ、全国の小規模グループや個人が攻略情報を独自にまとめて同人誌として攻略本を発行した事や1985年に徳間書店から刊行された『スーパーマリオブラザーズ完全攻略本』に触れて、ゲーム攻略サービスの歴史について述べている。
また、ゲーム攻略本の出現によってゲーム内の情報を明確化し、プレイヤーのゲームに対する技能やレベル、知識の深さを階層付けるという帰結をもたらした、と述べられている。
p.156-p.157
攻略サービスを構成する上で1番の基礎と言えるのが、ゲームのデータベースだとしている。
―ゲームのデータベース、例えば、ファイナルファンタジーやドラゴンクエストをはじめとするRPGの場合、どの街でどんなアイテムや武器が買えて、周辺にどんなモンスターが出現し、どれくらい経験値が得られるのかという情報を載せている。
<参考>
そして、ここで指摘されているのは、データベースが繰り返し閲覧される事。データベースは目下の課題解決が出来れば2度と見られないわけではなく、多くのプレイヤーは過去に訪れた街や遭遇するモンスターなどの情報を繰り返し閲覧して今後の課題解決に活かそうとする傾向があるとしている。
p.157-p.160
いかにゲームを通じて魅力的なパフォーマンスを魅せるか、スーパープレイで驚きをもたらすかという演出的なプレイを考察する題材として、YouTubeやニコニコ動画などの動画共有サービスに投稿されるRTA(Real Time Attack リアルタイムアタック)やTAS(Tool Assisted Speedrun ツールアシステッドスピードラン)を取り上げている。
TAS動画の出現以降、プレイヤーがゲームのプログラムに干渉し、ゲームシステムそのものをコントロールしようとする事に焦点が当てられつつあると言えるのではないだろうか、という考えが述べられている。
非公式攻略サイトと利用規約違反ツール『P-GO SEARCH』の違いは、「ゲーム内の情報へのアクセス」と「ゲームシステムへのアクセス」としている。
また、『P-GO SEARCH』を含む利用規約違反ツール、すなわち「不正」と思われるサービスを利用する人とそうではない人で、それぞれが同じゲームをプレイする場合、全く違う「状況」に置かれているのは言うまでもない事だとしている。
第12章 資源化される宗教感覚、資源化を飼いならす宗教感覚―ポケモンGOをめぐるイスラーム的批判からの考察 安田慎 (p.162-p.172)
p.162-p.163
一部の寺社仏閣で境内のポケモンGOのプレイを宗教空間の信仰に対する敬意や配慮を欠いた行為として禁じられたり、他方で境内でのポケモンGOのプレイを推奨する事を公言して参拝者とのコミュニケーションを築こうとする例がある事を紹介している。それによって、日本社会においてあまり明文化されて来なかった「聖なる空間」と「俗なる空間」の領域を捉えようとする事は日本における宗教的心性の変化を示すものと捉えられるだろうとしている。
p.163
ポケモンGOはイスラーム社会で従来から保持されてきた価値観を揺らがすものとして様々な懸念や批判が表明された過程で「イスラーム的な価値観とは何か」という点が改めて議論されたという。
p.164
イスラーム法学者達(ウラマー)がイスラーム法見解(ファトワー)やコメントを通じてポケモンGOに対する懸念や批判を表明してきたとしている。
ポケモンGOについては、ポケモンに登場する六芒星や十字架といった他宗教のシンボル、イスラームが避ける進化論的要素や偶像崇拝的要素を根拠に、「西洋やフリーメイソン、シオニスト達による、イスラーム的価値やイスラーム社会の崩壊を促す企みの一端」とする陰謀論的主張がされた。