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メモ:『ポケモンGOからの問い 拡張される世界のリアリティ』(新曜社、2018年) #ポケモンGO

メモ。適宜更新の予定。

2018年2月14日追記:部分的に取り上げる形で書く。

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新曜社での本書紹介ページはこちら

巻頭インタビュー インタビュイー 鈴木謙介(p.15-p.26)

p.19-p.21

巻頭インタビューで鈴木謙介さんが、日本におけるポケモンGOへのネガティブなイメージがついた理由に、1「気味の悪さ」と2「プレイヤーの指標のなさ」と3「日本特有の地理的環境」が挙げられていた。

1.情報がものすごいスピードで広がるゾーンとテレビ経由でしか何が起こっているかわからない人が一緒に合わさることで、「気持ち悪い人がウロウロしている」ように見えてしまい、何をしているかわかった上での【反感】ではなく、何をしているかわからない【恐怖の対象】となってしまったこと。

2.実際の空間には何もないけれど、スマホの画面によって初めてポケストップポケモンが可視化されて意味を持つようになることが、リアルの空間と情報空間のイメージの齟齬や断絶を深くした理由ではないか、と。

3.日本には面積の大きいフィールドが都会にほとんどない。よって、プレイヤーとそれ以外の人と「意味の衝突」が起きやすくなって、スマホを開いて長時間留まるだけで下手すると不審者扱いされる。

第1章 ポケモン・コンテンツの系譜―その終着点としてのポケモンGO 小池隆太(p.28-p.41)

p.29-p.35

メディアミックスとしてのポケモンについて触れている。
メディアミックスと言えば、「妖怪ウォッチ」や「ダンボール戦機シリーズ」のレベルファイブ社が頭に浮かぶが、言われてみればポケモンは立派なメディアミックスだな。正直気づいていなかった。

p.37

アニメにおけるポケモンは、野生動物と変わらない振る舞いや人間との意思疎通を図っていることから、背景に固有の人格や生活を伴った存在としてのキャラクターとして考えられる。しかし、ビデオゲームにおけるポケモンはゲームストーリー上の何らかの理由がある場合を除いてプレイヤーやゲーム内の登場人物と意思疎通を行わない。「集める」「育てる」「交換する」「対戦する」ことに忠実に役割を果たすある種の「道具」である、と書かれている。

第2章 ポケモンGOの観光コミュニケーション論―コンテンツ・ツーリズムの視点からの観光観の刷新 岡本健(p.42-p.54)

p.48-p.52
観光振興と地域振興への応用可能性について、「天橋立三所詣GOワールドマップ」(京都)、「ピカチュウだけじゃない ピカチュウ大量発生チュウ!」「PokémonGO PARK」(共に横浜、2017年8月9日から8月15日)を紹介しながら、「PokémonGO サードサタデー」を中心に取り上げている。

第3章 ポケモンGOのリアリティ―『Ingress』との比較から 河田学(p.55-p.65)

p.57-p.58

ポータルの位置や状況はスマートフォンに映し出されるが、『Ingress』の設定上、スマートフォンを改造して作られた「スキャナー」という装置だとされると書かれている。さらに、ゲームの初回プレイ時に表示される「あなたはゲームをダウンロードしたと思っているでしょう、でもそれは違います」というメッセージがあるように、スマートフォンで操作しているプレイヤーではなく、スキャナーを使って現実にポータルの攻防を繰り広げるエージェントであるというのが『Ingress』のフィクションであるとしている。

p.59

Ingress』におけるプレイヤー(エージェント)の位置表示とポケモンGOにおけるプレイヤー(トレーナー)の位置表示の違いについて触れている。

"ポケモンGOにおけるゲーム画面は、画面中央にキャラクターが表示された古典的なゲームな画面であり、ポケモン・シリーズでも伝統的に受け継がれてきたユーザー・インターフェースだといえる。"
確かに言われてみれば、自分が操作するキャラクター/ポケモンGOにおけるアバターが中央に表示されているのはこれまでのシリーズと同じだ。気づかされた。

"『Ingress』においては、プレイヤー・キャラクターが表示されていないという事実が、プレイヤー自身がエージェントである(すなわちプレイヤー・キャラクターなどそもそも存在しない)というこのゲームのフィクションを強化している。"
自身がプレイヤーであるという意識はポケモンGOよりかは大きいかな。

p.62-p.63

チェスを例に、『Ingress』が抽象的なストラテジーゲームとしての側面を備えているという考察が書かれている。チェスでは「王を筆頭とする軍隊を率いて敵と交戦する」というフィクションが可能なはずであるが、実際にはフィクションの部分は意識化されず、勝利するためのストラテジーの側面が前景化されているとしている。そして、フィクションとストラテジーはトレードオフの関係にあるとしている。

p.63

Ingress』はポータル同士をリンクする(繋ぐ)ことによってコントロールフィールド(三角形の陣地)を形成して勝敗を争うが、『Ingress』ではプレイヤーの行動のリアリティがフィクションに取り込まれていて、ストラテジーの前景化がプレイヤー=エージェントというフィクションの強化をしている、とある。

また、ポケモンGOにおけるスマートフォンのカメラを使ったAR機能から、ポケモンGOは現実定位のゲームであるとし、『Ingress』はフィクション定位のゲームである、としている。

第4章 穢れなきポケモンと現実の都市―ARによって浮き彫りになる、現実世界への糾弾 藤田祥平(p.66-p.77)

p.69

"ポケモンGO大阪市内でプレイしてみると、画面内ではランドマークや坂道など、重要な地理的要素としての高低差が捨象されたり、道路が強調されたりするなどのデフォルメが施され、また、ジムやポケストップなどの仮想施設も密に設置されている。しかしそのシステムの内部では、デジタル地図に表象されるエリアに固有の歴史や文化が描かれていない。あるいは出現するポケモンが、土地のなりたちと結びついている、ということもない。"
エリアとしての表現において、歴史性がないということであって、個々のポケストップに関する歴史性のことではないということなのか。

第5章 いかにして私たちはポケモンGOと接触(コンタクト)するのか―二つの指標性から出発して 谷島貫太(p.78-p.89)

p.79

ポケモンGOにおける「中核体験」を【プレイヤーの移動に合わせてアバターが移動する→ポケモンが出現する→ポケモンに触れると捕獲画面に移る→ボールを上手く投げて運が良ければポケモンを捕獲できる】としている。
吉田寛さんの論文を引用しながら、記号論におけるチャールズ・ウィリアム・モリスの定義である、「意味論的次元」「統語論的次元」「語用論的次元」のうち、「意味論的次元」「統語論的次元」に言及している。「意味論的次元」を「ゲーム世界内の記号とゲーム世界外の事物との対応関係」、「統語論的次元」を「ゲーム世界内の記号同士の関係」としている。

p.86

ポケモンGOにおけるポケモンの<キャラ>が果たす二重の機能について:図鑑をコンプリートするというゲーム内のゴールを達成するための機能が統語論的機能、ポケモンの世界観を提供する機能が意味論的機能としている。そして、ポケモンGOにおける、プレイヤーがポケモンを見て、ポケモンがプレイヤーを見るという動きと、ボールを介して行われるプレイヤーとポケモンの相互作用(プレイヤーがボールを投げ、ポケモンが捕まったり避けたりする動き)をコミュニケーションであると言い、これがポケモンGOにおけるポケモンという<キャラ>の語用論的機能であるとしている。

第6章 ポケモンGOでゲーム化する世界―画面の内外をめぐる軋轢を起点として 松本健太郎(p.90-p.102)

p.91

ポケモンGOが都市空間の意味解釈に多層化と分断をもたらしたとし、ジムになっているサンリオピューロランドの入口を例に、テーマパークの顔として認識する人もいれば、ポケモンGOの「ジム」として認識する人もいる、と。

p.97

ポケモンGOのデジタル地図は「他者」や「事物」は予め排除されているとしている。プレイヤーを誘導するのは実社会には存在しないポケモンポケストップ、ジムといった記号群で、それらの距離の関係性を見つつ、移動する。そこで重要なのは意味論的関係(画面の内側と外側の関係)ではなく、統語論的関係(画面内に表示されるの記号の関係)である、としている。ポケモンGOは「統語論的関係の優位」を持っていて、それによりプレイヤーが画面に表示されない人達や画面の外側の社会との衝突を招くことになった、とある。

ここでも、第5章の意味論的次元と統語論的次元が用いられている。